#影の軍団シリーズの第2作である。FNSにて1981年10月6日 - 1982年3月30日の火曜日22時から22時54分に全26話が放送された。(第25話と最終回の第26話のみ、サブタイトルの上部に小さめの文字に最終回前編最終回後編と加筆タイトルが付く)
千葉演ずる頭領柘植新八は腰の大刀を背後に隠し、左右どちらからも抜ける「変異抜刀霞斬り」の達人と設定されており、この剣法は千葉自身のアイデアである。本作品の見どころの一つとして志穂美悦子が敵役として登場。このシリーズから影の軍団は昼間の忍び装束に迷彩柄を着用し、平賀源内が開発した武具を戦いに取り入れている。毎回倒した二十六人衆の刺客の手形を採取し、軍団側が所有している手形と照合するシーンがあった。作中で判明した二十六人衆の陣容は24人で、残りの2人は最後まで判明しなかった。
時は宝暦8年、公儀御庭...
北海道の小さな漁港神別に一人の男が現われた。以前は大網元だった山形家の次男である次郎だった。久し振りに帰った次郎は、自分の家が落ちぶれ、神別の漁師たちがやくざの芦田一家の言いなりになっているのを見て、決意するところがあった。博奕に手を出しては、酒を飲む次郎に皆は冷たかったが、大船頭の力三だけは、次郎が隙があったら芦田組へ殴り込みをかけようと虎視眈々狙っていることを知っていた。この次郎の真意を知らず、彼のだらしない様に愛想をつかした弟の真吉は仲間と芦田組へ殴り込んだ。芦田組が獲った魚を二束三文で買ったのだ。だが、芦田の息子の元は冷酷非情な男で、真吉を無惨なやり方で殺してしまった。真吉の遺骸を見てさすがに弱気の漁師たちも結束した。そして、山形一家を中心として芦田一家に対抗し始めたのだった。ちょうどその時、大魚群が神別の沖に来て、魚の買いつけをめぐって双方...
全国高校野球選手権では若葉高校の川原投手が大活躍しており、プロ野球の各球団からスカウトが甲子園に集まっていた。そのピッチングを天下探偵事務所でテレビ観戦していた天下一郎は、相棒近藤茂から川原を自分の後輩だと自慢げに聞かされていた。後に若葉高校は優勝し、原動力となった川原の獲得に各球団は動き出し始める。川原は帝都ホテルで会った後援会の会長黒谷から「君の身は我々が預かる」と伝えられ、この時から川原は姿を見せなくなった。
一郎はいつものように茂とジャズ喫茶「エンジン」に入り浸っていたが、入ってきた綺麗な女の子武智美矢子に惹かれる。父親と待ち合わせしていたスポーツ記者の美矢子は見合い相手と会うよう、有無を言わさずコンサートチケットを渡され、行くように説得された。一郎は美矢子の後を付いていき、ちゃっかり隣の席「への13番」に座り、美矢子を食事に誘う。
取...
今日は1967年の「解散式」。深作監督にとって初めての仁侠映画です。「誇り高き挑戦」、「狼と豚と人間」、「ギャング対Gメン」とギャング映画ばかり撮って来て一定の評価を受けてきた深作監督ですが、1967年から1972年にかけていろんな映画を撮っています。この「解散式」もそうした試行錯誤の中で一本で、仁侠映画を多くプロデュースした俊藤浩滋とはじめて組んでいます。俊藤さんは深作の才能を高く買っており、「仁義なき戦い」の製作にも名を連ねています。ただ、深作監督にとってはやはり仁侠映画を作るのは厭だったらしく、「やっぱり何か自分で好きな映画をやっている実感はなくて、しんどかったですね」(「世界の映画作家22」より)と自作を振り返っています。
小滝組の幹部、沢木(鶴田浩二)は8年の刑期を終えて、娑婆に舞い戻ってくる。彼自身は何も変わらなかったが世間は変わりすぎて...
『キイハンター』 (KEYHUNTER ) は、日本のテレビドラマ。
国際犯罪者の天国スパイの甘い猟場ともいわれる大都会東京に架空の国際警察特別室を設定して、室長の村岡だけが知っている6人の冒険者キイハンターが平和をおびやかす組織陰謀悪と戦う活躍を描き、どんでん返しを含むストーリーや絶妙のチームワークと、千葉真一のアクションスタントで大ヒットした東映アクションドラマの代表作である。制作はTBS東映。
1968年4月6日から1973年4月7日の毎週土曜日21:00 - 21:56に放送され、全262話で最盛期には視聴率30%を越えていた。
レギュラー出演者
キイハンター
黒木鉄也 - 丹波哲郎
元国際警察外事局諜報部員。国際警察特別室特殊スタッフという肩書きは村岡以外の国際警察員は誰も知らない[11]。村岡の元同僚だったが、人間味のない組織...
日本映画监督协会成立70周年纪念作品
映画『映画監督って何だ!』は、日本映画監督協会が創立70周年記念事業の一環として製作したものです。協会員が一丸となって製作したこの記念映画には、監督90名が俳優として出演し、さらにスタッフとして60名の監督が参加しています。まさに「監督の監督による」映画作りだったといえます。もちろん、協会員150名以外にも、小泉今日子、佐野史郎、石川真希、原田芳雄などの俳優陣や、撮影、美術、録音などの本業スタッフの援軍も得ています。
「映画監督」の仕事の本質は何かを改めて問うところからはじめ、<時代劇>あり、<再現劇>あり、さらには<ドキュメント>、<インタビュー>で構成されるこの映画の一貫するテーマは、<「映画の著作権」獲得>への宣言です。そうです。この記念映画は、1971年施行の現行著作権法により奪われた映画監督の著作権につ...
昭和20年敗戦によって復員した広能昌三等一団の若者たちはうっ屈した青春を暴力に叩きつけて、戦後の荒廃に挑み、山守義雄を親分として広島県呉市に一家を創立した。老かいな山守の才覚と広能たちの命を賭けた斗いによって、山守組は呉で一大王国を築くに至ったが、権力の拡大につれて内部の分裂が始まり、広能も山守に盃を返した。そして時の流れとともに組織はまた、次々に戦いの種を撤き、多くの若者たちの血が流された。38年、市民社会は秩序の破壊者である暴力団に批難の目を向け始め、警察も全国的な暴力団壊滅運動に乗り出していたしかし広島市の中心街ではなお東西に二分された暴力団が正面から対決していた。(C)東映